我々はどこから来たのか!?

自分というモノをもう1度もとから考えてみよう。
我々はどこから来たのだろう?
誰もが母親の腹から出て来たことは確かである。
誰もが眼にも見えないような精子から成長したのだ。
精子卵子と結合して ・・・
アッという間に細胞の増殖が始まって ・・・
10月10日たって ・・・
やがてオギャァと生まれたのだ!
この過程をプログラムしたのは誰だろう?
誰でもない。
遺伝子が ・・・
自分の子孫を残すために ・・・
自分自身の設計図を持っていたに過ぎない。
だけど ・・・
その設計図って実に素晴らしいものだと思う。
白人は白人で ・・・
黒人は黒人で ・・・
みんな設計図にしたがって増殖されるのだ。
ところで ・・・
自分というモノは ・・・
いったい誰がどのようにして設計したのだろう?
僕は思う。
たまたま生まれた僕に ・・・
僕という存在を与えられただけであり ・・・
これは「自然の成り行きだった」のだと ・・・
自分はどうしてイタリアに生まれなかったのかとか ・・・
自分はどうして皇室に生まれなかったのかなど ・・・
そんなことを考えるのは無意味である。
貴方は貴方であり僕は僕なのである。
それはたまたまそうなっただけのことである。
誰が僕の運命を決めることができようか?
僕の運命は ・・・
遺伝子が僕をつくった時から定められたものであり ・・・
その運命に逆らえる手段というものはない。
遺伝子とはそのようなものであり ・・・
誰も等しくその運命を背負わされているのだ。
病気になるのも運命である。
認知症になるのも運命である。
遺伝子は ・・・
何も計算して僕をつくったのではない。
まさに「偶然」にそうなっただけなのだ。
流れ星が1つ流れたように ・・・
人の運命(さだめ)は1つの瞬間で決まるのだ。
しかもそれは単なる「偶然」に過ぎない。
遺伝子とはそのようなものなのだ。
僕はどこから来たのか?
それを問うのは「無意味」というものである。